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宗教対立の憎しみの連鎖を超えるには

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    今日は、「宗教対立の憎しみの連鎖を超えるには」というテーマを探究してみたいと思います。

     

     

    キリスト教国であるアメリカでは、トランプ大統領が

    1月27日の大統領令で、入国審査の厳格化を進める間の

    暫定的な措置として、

    イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、

    イエメンの

    7か国からの渡航者の米国への入国を90日間停止しました。

     

     

    これはイスラム国(IS)打倒戦略の

    一環であろうと思われますが、

    これに対し中東のイスラム教国では怒りと批判の声が

    高まっているようです。

     

     

    キリスト教とイスラム教の対立は、

    中世ヨーロッパの十字軍の時代から、

    対立と憎しみ、戦争が繰り返されています。

     

     

    なぜ、宗教の教えの違いにより、

    ここまで憎しみの連鎖が続くのでしょうか。

     

     

    『伝道の法』には、イスラム教にある偶像崇拝の否定について、

    このように説かれております。

     

    「破壊したい」と思う衝動のなかに、

    やはり、根本的な理解の足りない面が

    あることを知らなければならないと思うのです。(中略)

    「この世ならざる偉大な力に対する畏敬の念を大事にしよう」

    という気持ち自体は、宗教にとって非常に重要なことです。

    ところが、これを形式的に捉えすぎることによって、

    形に表したものを次々と壊すようになるのでは、

    少し考え方が違うのではないかと思います。」(P.251,253)

     

    オリジナルの教えが現れたときに

    十分に説かれなかったことが、

    後の災いとなして、他宗排撃になったり、

    異質なものをこの地上から

    消し去ってしまうような動きになったりするのであれば、

    極めて残念なことだろうと思います。

    この「人間の心の狭さ」をこそ、

    私たちは嘆かねばならないのではないでしょうか。」(P.253)

     

     

     

    イスラム教における

    神は人間と比較にならないほど偉大であるがゆえに、

    神に対する畏敬の念から偶像のような形で

    あらわしてはならないという教えが

    後世形式的に捉えて仏像を全部壊していくような動きは、

    理解の不足であり、人間の心の狭さでもあるということです。

     

     

    キリスト教においても、イスラム教を邪教、

    テロ宗教と考え、排斥する動きは

    理解の不足であり、人間の心の狭さであると思います。

     

     

    また、『伝道の法』には、次のように説かれています。

     

    「すべての宗教は根源なるものから分かれてきたものであり、

    唯一のところから流れ出してきた教えであるのだということを

    知らなければならない。

    ゆえに、その違いを強調して争い合うのではなく、

    もっとお互いに知り合い、理解し合い、信じあうことによって、

    新しいユートピア世界を作りたい」(P.255)

     

    『伝道の法』には、人種の違いや宗教の違い、文化の違いには、

    宇宙的な意味においても、魂に違いがあるということも

    触れられています。

     

     

    宗教に多様性がある理由は、

    決して人類に混乱を起こすためではなく、

    地球人としての価値観を創るための文明実験であり、

    この地球という魂修行の場において、

    さまざまなルーツをもつ魂たちが、

    様々な環境と宗教、文化で魂を鍛え、

    お互いの違いを知ることによって、

    新たな可能性を見出し、まだ変化する余地がある

    ということを気づくためでもあったのです。

     

     

    それが、説かれた環境と時代が違うため、

    他の宗教は邪教だから滅ぼすというのでは、

    神の御心にかなっているとは思えません。

     

     

    形式的に教えをとらえるのではなく、

    その奥にある神の御心を忖度するなら、

    「違いを違いとして認め、他を理解すること。

    これもまた愛なのだ」(P.257)

    ということなのでしょう。

     

     

    相手を理解することができたら、愛したということと同じ

    と説かれています。

     

     

    理解できないから憎しみあい、理解できないから攻撃し、

    理解できないから排斥し、理解できないから

    「憎悪の連鎖」が止まらないのです。

     

     

    仏法真理の価値観を世界中に広げ、

    お互いの宗教の理解を深め、

    憎しみを超えて愛を取れる

    世の中にしていきたいと強く願います。

     

     

    最後に、自作の詩を紹介いたします。

     

    『最後の救い』

     

    いつしか時は過ぎ
    憎しみの炎は
    消えるだろうか

     

    悲しみの涙は
    枯れるだろうか

     

    なぜ人は
    傷つけあうのだろう

     

    なぜ人は
    憎みあうのか

     

    虐げられた憎しみの炎は
    子供にまで宿る
    子孫にまで宿る


    その炎を
    吹き消す術は
    もうないのか


    悲しみの連鎖を
    止める術は
    もうないのか


    国と国とが
    争い憎しみ合う


    相手の国の民までも
    憎み罵り合う


    なぜ人は
    争い合うのか


    なぜ人は
    奪い合うのか


    宗教間の対立
    国の価値観の対立
    人々の無理解と裁き心


    すべては
    愛の価値を
    知らぬことにある


    愛は憎しみに
    打ち勝つことを
    知らぬことにある


    すべては
    私達の全てを創られ
    許されている
    主を信じぬことにある


    愛の価値を疑い
    相手の仏性を疑い
    信じぬことにある


    主の説かれる
    教えに帰依し
    主の愛に
    全てを委ねること


    主が創られた
    お互いの仏性を
    信じ抜くこと


    主の説かれる
    新しい価値観に
    すべてのものが
    帰依すること


    それが
    最後の救い


    憎しみを捨て
    愛を取れ


    すべての救いが
    そこにある

     

     

     

     

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