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美と善悪について

今日は美と善悪について探究してみたいと思います。

大川隆法総裁先生は、御法話「逆境経営法」のなかで、
次の時代のコンセプトは、「美」の探究である
と説かれました。
「真」「善」「美」のうち、
「真」「善」は宗教家等によって探究されてきましたが、
「美」の探究が次の時代の経営の生き筋になるだろうということでした。
では、一体、「美」とは何でしょうか。
いろんな角度から探究する必要があると思いますが、
今日は「美」と「善」の関係について
参考書籍をもとに学んでみたいと思います。
「美」と「善」について、
ゴッホの霊言 によれば、次のように説かれています。
「芸術家というのは、結局、美ということを通して善悪を超えねばならんと私は思うんですよ。善い生き方、悪い生き方、善人、悪人、いろいろな考え方はあると思うのだけれども、芸術家というものは、そうした道徳論は超えないといかんね。何を通して超えるかといえば、美を通して超えるんですよ。美というものを通して、この善悪を超えていけるのです。この善悪の陰陽はね、美という観点から止揚され、統合されていくんですよ。(中略)
善悪を超えるものは美です。これは、どういうことかというと、「神は、なぜ善と悪を創られたか」というふうに考える人も数多くいると思うけれども、結局、「神には、美の観点から善悪を創っておられる面がある。美の観点から、光と闇を創っておられるところがある」ということなのです。それは、「味わいの深いものを創るためにやっている」ということだ。」(大川隆法著「ピカソ霊示集」ゴッホの霊言より)
芸術家の視点でみれば、善悪というものは、美というものを通して超えられるということ。
神には、美の観点から善悪を作っておられる面がある、ということです。
なぜでしょうか。
それは、味わい深い魂の教訓を得るため、
味わい深い魂の輝きを得るため、
ではないでしょうか。
光と闇、善と悪、この陰陽があることによって、
この世の人生の魂修行のなかで、
歓びも悲しみも苦しみも生まれてきます。
喜びだけの世界であれば、苦楽の楽だけの世界であれば、
魂の足腰は鍛えられず、感動のドラマも生まれません。
歓びも悲しみも苦しみもあり、
光も闇もあるこの世という仮の世界で
魂修行をすることによって、
感動が生まれ、
アコヤ貝の真珠のような
美しい魂の輝きが生まれる、
ということかもしれません。
そうであるならば、
霊的な魂の輝きを増す生き方をすることが
大事なことではないでしょうか。
また、霊性の美しさを表現することが、
善悪を超える道でもあるのではないでしょうか。
また、「愛から祈りへ」のなかに次のように説かれています。
「知ることは愛することであり、美しいことは同時に愛でもある。愛のなかには、すべてのよきものが含まれる。それがギリシャ的なる愛の精神だった。」
「この大宇宙は、人々の生活空間であるこの世界は、ほんとうは、善一元とも善悪二元とも、光一元とも光闇二元とも言えないのです。そこにあるのは愛一元の世界、愛しかない世界なのです。」
ギリシャ的愛の精神とは、愛のなかに美と知を含む、というものでした。
ヘルメス神の教えによれば、
この世界は善悪二元とも善一元ともいえず、愛一元の世界なのだ
ということなのです。
ここに、芸術家における善悪は美によって超えられる、という思想と
共通点を感じます。
愛のなかに美と知は含まれ、美の観点から善悪を超えるなら、
芸術家における美の探究とは、
「愛」の探究でもあると言えるでしょう。
神の愛、すなわち仏の慈悲こそ、善悪二元の世界を統合するものであり、
神はあらゆる人生のドラマのなかで、魂を美しく輝かせることを望まれている
のではないかと感じます。
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コメント

美の視点、大変参考になります。
これからも、楽しみにしております。

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